みつきかいの独り言

家に帰る速さがトップクラスの高校生が思ったことを言うブログ

陰キャの日記

今までで一番空白期間が長くひと月も空いてしまった私、みつきかいといいます。

 

 盆休みあたりに前回更新したと思っていたら、ほぼひと月前。びっくりした。

 夏休みは終わってしまい、学校が始まってしまいました。二学期には私の学校は体育祭文化祭が控えており、憂鬱な気分です。このご時世に学校行事をするかはわかりませんが、もしなくなれば気分が楽になるでしょう。

 

 出かけることもなく、学校では相も変わらずボッチ飯。思い出がない中で今日は、私のボッチ飯について書こうと思います。

 

 まず初めに、ボッチ飯=寂しい、外されている。ということは私にはないのであまり暗くならないとは思います。

 高校に入って一学期の時私は幸運にも昼ご飯に誘ってもらえたのです。席は初めは出席番号順だったのでその番号が近い人同士で食べていました。とってもありがたい話で嬉しかったです。少しだけ会話には入れていなかったので蚊帳の外といった感じでしたが。その距離感が面倒になってしまったのがボッチ飯の初めの一歩。

皆さんは昼ご飯がすんだあと友人と会話し続け、スマホを触るなんてありえないと感じる人ですか。もしくは食べたらそれぞれスマホを触り始めたほうが楽だと感じる人ですか。私は断然後者で、話したいことがあれば話すがそれ以外は勝手にしたいと思うのです。私の周りがそうでなかったから離れていったという感じですね。昼ご飯を共にすることがなくなっただけで友人であることには変わりありませんでした。

 

 二年生に上がったら私と似たような人つまり個人が各々に過ごすタイプの友人とともに昼ご飯を食べることになりました。これがボッチ飯になったのは、共に過ごす友人同士の中が悪くなったから。私と仲が悪くなったわけではなく、友人同士がです。私はあくまでもグループとして仲良くするのではなくそれぞれ個人と仲良くしているという考えなのであまり深入りするつもりはありませんでした。ばらばらになってしまい、それぞれに仲の良い友人がいたことからボッチ飯になりました。

 

 私がボッチ飯になったきっかけはそういったところからですが私がボッチ飯である理由は「席を動くのが面倒だから」それに尽きます。集まるために動くのが面倒くさいただそれだけです。自由に音楽を聴いて食べ終わるとゲームをしてそれなりに充実したものです。

 

 ボッチ飯と並んである言葉「便所飯」これは避けたほうが良いですね。私も一回だけしたことがありますが階段に座って食べるほうがましだと思いました。匂いが臭いとかではなく狭く発想がネガティブになりそうだからです。逃げ場として一人になりたいときのお手洗いはわかります。ただそこで食事は精神的に一番おいしく食べられる気がしないと思うからです。作ってくれた人に申し訳ない。

 

 昼休み誰と過ごすかは大切だと思います。距離感、考え方が似ている人と過ごしたほうが楽ですね。

 

 考え方が似ている友人はいるが、同じ趣味を持つ友人がおらずほしいなと思う、みつきかいでした。

ここまで読んでくださりありがとうございました。